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雷帝イヴァンの銅像

著名な暴君の人名録です。
暴君的な残酷であったり人の道に外れる行いをするキャラクターの名付けの参考になれば幸いです。

目次(クリックで開閉)
  1. イヴァン4世
  2. カラカラ
  3. カリギュラ
  4. ディオニュシオス1世
  5. ティベリウス
  6. ネロ
  7. パーヴェル1世
  8. フィリップ4世
  9. ヘリオガバルス
  10. マクシミヌス・トラクス
  11. 足利義教

イヴァン4世

16世紀のモスクワ大公国大公で皇帝号ツァーリを称した。
国外では東方の複数の国家の併合に成功し、国内では絶対君主制を敷くべく大貴族や民衆の区別なく苛烈な政策を進めたため、畏怖と恐怖を持って"雷帝"と呼ばれた。
特に国内での大規模な粛正や恐怖政治から国土の荒廃を招き、ロシア史上最大の暴君と言われる。

カラカラ

本名はルキウス・セプティミウス・バッシアヌス。
ローマ帝国第21代皇帝で2世紀から3世紀の人物。
カラカラ浴場の建設などいくつかの功績もある。
しかしそれ以上に対立していた弟や貴族、元老院議員などの殺害・粛正、経済政策の失敗による国力の衰退、国庫を浪費しそれを賄う為に罪のない人々に濡れ衣を着せて財産を没収する、自分を批判した民衆を二万人以上虐殺するなど狂気的な暴政を敷いてローマ帝国を混乱の時代に至らしめるとば口を開いた。
帝政ローマの暴君とされる皇帝達は少なからず悪行を後世に誇張、創作されていたり実態が不明であったりする中、史実として明確に暴君と言える人物の一人。

カリギュラ

紀元1世紀の第3代ローマ皇帝。
本名はガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス。
当初は寛容な政策を敷き、市民だけでなく軍や元老院の人気も高かった。
しかし即位して半年ほどした頃に大病を患って以降精神的に不安定になり、近親相姦を含めた淫欲に溺れる、気紛れに人を殺害する、莫大な浪費、愛馬を執政官に任命する、過剰な自己の神格化などの暴政に走ったとされる。
ローマ帝国の暴君の代名詞ともされるが、彼の在位中の記録は極端に少なく伝えられている悪行がどこまで本当なのかは実ははっきりしていない。

ディオニュシオス1世

紀元前4世紀のシチリア島シラクサの潜王。
民主制の機能していたシラクサを軍事力で乗っ取り独裁的に支配した。
彼の統治は非常に猜疑心に満ち、シラクサの隅々にまで配下の傭兵を配置して監視させた。
太宰治の『走れメロス』の暴君ディオニスも彼がモデルである。

ティベリウス

本名はティベリウス・ユリウス・カエサル。
ローマ帝国第2代皇帝。
アウグストゥスの後を継ぎ帝政ローマの基盤を整備した人物であり、本来はこの項に載せるのは適当ではない。
しかし、先頭に立ち大事業を成し遂げる事を支配者に求めたローマ市民の欲求とは徹底的にかけ離れた地味な統治に終始し、本人も表に出る事を厭う性格だった事もあってとにかく民衆からは嫌われ「暴君(タイラント)」とまで呼ばれた。
後の高名な歴史家で共和主義者だったタキトゥスに帝政を磐石にした皇帝として悪し様に記述された事や、キリストが処刑されたのが彼の在任中である事も暴君説に大きな影響を与えたと考えられる。

ネロ

ローマ帝国史上、あるいは世界史史上でも一、二を争う暴君として悪名高い皇帝。
本名はネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス。
母アグリッピナの強力な後押しで不承不承即位したが、哲学者セネカと近衛長官ブッルスの補佐の元、当初は名君として君臨した。
しかし母親の干渉が強まると精神の安定を失い、その母親、次いで前妻、そして補佐役であったセネカまでをも次々と殺害や自殺に追い込む。
やがて宮殿を造営する土地を創出するためにローマ大火を起こし、その様を見ながら歌を吟じた…などと言われているが、これを本当にネロが放火したと言う証拠は無くむしろ的確に消火の陣頭指揮を執ったと評されている。
確かに暴君的な側面があったのは否めずキリスト教を迫害したのも確かではあるが、それのみで語れるほど単純な人物ではない。

パーヴェル1世

ロシア、ロマノフ朝の第九代皇帝。
母である名君エカチェリーナ2世の後を継いだが親子関係は悪かったため、とにかくその功績を否定してその反対の政策を行う事に腐心し、多くの貴族から反感を買った。
特に外交での失策が大きく、第二次対仏大同盟に参加していたのをナポレオンの登場によって彼に憧れたと言うだけの理由で対イギリスに路線変更するなど一貫性の無さを露呈し、国内有力者に見限られる事になった。

フィリップ4世

13世紀から14世紀にかけてのフランス王。
権力が分散していた封建制から官僚に力を移す事に着手し、後に絶対王政へと至る中央集権化のさきがけとなった人物。
ローマ教皇と対立してこれを憤死させる、勢力を拡大していたテンプル騎士団の資産を没収するために異端の嫌疑をかけこれを解体に追い込む、中央集権化の反動から諸侯の反発を受け国内が不安定になる、在位中に始まったイングランドとの領土問題が未解決のまま持ち越されるなど後代にいくつもの禍根を残した。
合理的で有能と言っても差し支えの無い王ではあったが、性格的に酷薄で残した問題が大きくキリスト教徒からの評判もよくないため暴君とされる事がある。
"端麗王"もしくは"美男王"などと呼ばれるほどの美男子であったと言う。

ヘリオガバルス

ローマ帝国第23代皇帝。
本名はマルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス。
日本ではネロやカリギュラほどの知名度はないが、ローマ帝国の中でも史上最悪と言われる皇帝。
他のローマの暴君の多くは少なくとも初期においては名君としての側面を見せたり何らかの功績は残していたりはするが、ヘリオガバルスは即位直後から奇行が目立ち、自己顕示欲は旺盛だが政治的にはひたすら無能で、性的にも倒錯していたりと後世の誇張を差し引いて考えてもなお擁護のしようのない人物である。
だが彼の退廃性は19世紀のデカダン派において注目され、少なくとも文学史においては功績があったとも言える。

マクシミヌス・トラクス

本名をガイウス・ユリウス・ウェルス・マクシミヌスと言う。
3世紀帝政ローマのいわゆる軍人皇帝の最初の人物。
第25代皇帝。
比較的善政を敷いていたものの、軍からは支持されていなかった先帝アレクサンデル・セウェルスが兵士によって暗殺されると皇帝に推された。
軍事的才幹はあったが、性格は粗野にして粗暴。
そのため支配階級からは嫌悪され、支持基盤である軍を優遇したため既に傾いていた国家財政をさらに圧迫してそれが増税を招き民衆からも反発を受けた。
しかし結局軍も掌握できずに近衛の反乱によって暗殺される。

足利義教

室町幕府第六代将軍。
「万人恐怖、言うなかれ、言うなかれ」とまで言われた恐怖政治を敷いた。
当初は出家していたが将軍の後継問題に紆余曲折あり、候補の中から籤引きによって選出されたと言う経緯を持つ。
就任後は出家先であった延暦寺の焼き討ち、対立した鎌倉公方足利持氏の一族を除名嘆願を無視して殺害、守護大名の継承問題に積極的に介入して意に沿わぬ者は謀殺するなど強権的な姿勢で臨んだ。
また近習や周囲の人間にも苛烈で、些細な事で多くの者を殴打や追放するなどしている。
暴君と言われる人間につき物のこう言った話は後世の創作などであったりする事も多いが、義教の場合は同時代の公家の日記など信憑性の高い複数の資料で異口同音に記述されておりほぼ史実であると考えられている。